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1. プロローグ:真のプログラマたち

始めに、真のプログラマたちがいた。

彼らは自らをどんな呼び名でも呼ばなかった。彼らは自らを"ハッカー"だと もあるいは特に何者であるとも称しなかった。'真のプログラマ'という呼び名 は 1980年以降まではなかった。しかし 1945年以降、コンピュータ技術は、世 界中の聰明なそして最もクリエイティブな人々の心を捉えた。 Eckert & Mauchly の ENIAC ( 1) 以降、 多かれ少なかれ熱狂的なプログラ マ達による自意識の強い技術文化が存続した。彼らは楽しみとしてソフトウェ アを作成し、実行した人々であった。

真のプログラマというのは概して工学や物理学の出身だった。彼らは白い靴 下にポリエステルのシャツ、ネクタイに分厚い眼鏡をかけて、機械語やアセン ブラ語、そして FORTRAN と今や忘れさられた半ダースもの古典語で武装して いた。彼らがハッカーの国の先駆者であり、ハッカーの国の歴史以前にはほと んど注目されることのない主役であった。

第二次世界大戦の終りから 1970 年代の始め頃、それはバッチマシンを使っ ていた時代であり、そして``巨大で高価で超高速なコンピュータ''のメインフ レームの時代には、真のプログラマたちがコンピュータ文化を支配していた。 有名な Mel の伝説 ( 2) (Jargon File に収録されている)、 マーフィの法則のさま ざまなリスト、そしてたくさんのコンピュータ室を今でも飾っているいんちき ドイツ語の``Blinkenlights' ( 3) のポスターも含めて、 称賛のまとになったハッカーの伝統の一部はこの時代から始まる。

'真のプログラマ'文化のなかで育った人たちのなかには、1996 年にこの文 書が書かれた時点で、まだ元気で活躍している者がいる。スーパーコンピュー タ Cray シリーズ ( 4) の設計者である Seymour Cray には、 かつて自分の設計した コンピュータをトグルスイッチで手入力したという伝説がある。8進で、ひと つのエラーもなく動いた。真のプログラマとは最高に男らしいものだ。

「The Devil's DP Dictionary」(McGraw-Hill, 1981, ISBN 0-07-034022-6) の著者で風変わりなものの蒐集家である Stan Kelly-Bootle は 1948 年に、プログラムを読み込んでちゃんと使うことが出来る最初のデジ タルコンピュータ Manchester Mark I でプログラムを行った。最近では彼は しばしばコンピュータ雑誌に技術ネタの楽しいコラムを書いている。このコラ ムでは今日のハッカー文化に関する含蓄深い内容が対話形式で語られている。

その他、David E. Lundstrom のような人は、初期の頃 (「A few Good Men From UNIVAC」, 1987,ISBN-0-262-62075-8).の逸話に富んだ歴史を 書いている。

(訳注)Eckert & Mauchly's ENIAC: ENIAC ペンシルバニア大学で作られた世界最初の真空管式電子計算機。 ENIAC は1946年に完成した。

(訳注)story of Mel: Ed Nather が 1983年5月21日に USENET にポストした詩。「真のプログラマ Mel の物語」は「ハッカーズ大辞典」(アスキー出版)「ハッカーたちの伝説」 (535頁)を参照してください。

(訳注)Blinkenlights: コンピュータ、とくに恐竜のフロントパネルにある診断ランプに書かれていた 注意書き。(ハッカーズ大辞典95頁)いんちきなドイツ語で書かれていたので、 こう言われる。

(訳注) the Cray line: Seymour Cray はクレイリサーチ社の共同創立者のひとりであり、コンピュー タ設計者。クレイ社の設計したスーパーコンピュータには、 Seymour Cray の 名前に由来する cray シリーズがある。


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