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3. どうして翻訳なんかするはめに?

何の因果か 30 過ぎからシステム管理の職場に異動したのが運のつき、man から はじまり OS、ミドルウェア、ワークステーション、ネットワーク機器、RAID ディスク、UPS とか、英文マニュアルの山脈が眼前に立ちはだかりました。 日本語の書籍をまず読んだのですが、これがわからない。「一浪三流文学部卒だし、 もう年とってるし、短気だし、飽きっぽいし、物忘れ激しいし、俺あほだしな」 と思ってたんですけど、どうもそれだけじゃなさそう。

O 社発行のある翻訳本読んだ時のこと。

「改めて公平な立場から言うと」なんて書いてありました。 「え、じゃあ今までの説明は不公平?な説明なの?」 なんて疑問があちこち沸き上がりました。疑問で頭混乱して、全然本筋の言語 のしくみが頭に入ってこないんです。 「ううぅ、キィー、原書買っちゃえ、もう」。 で、例の部分は "to be fair again" となっている。 あのさあ、手間省かないでちゃんと辞書引いてよ、頼むよ。危うくこの言語ステ にするとこだったよ。

A 社発行のある翻訳本を読んだ時のこと。

あんぐりなので、まあ見てください。引用します。

Sun に関して本当に感銘することの 1 つは、オープンな標準への献身である。Sun は、他の会社が専有の実装方法でユーザーを囲い込むことを選んでいたので、標準の インターフェイスと絶えず採用している標準のための仕様書を発行したことで "先祖 代々の宝石を与えたこと" に対して矢継ぎ早の非難を浴びた。Solaris は、ほかの どんなシステムがサポートするよりも多くの標準をサポートしている。
まあ、それは専門用語のすばらしい積み重ねであった。以下に、それらのすべてが 何を意味するかと、なぜそれが重要であるかを述べる。

とか言われてもねえ。

そんなこんながいくつか続いて、これはもうとにかく原文読まないと仕事にならない、 という結論にやっとたどりつきました。 つーわけで、「わけわか」なりにあきらめず、繰り返し読みました。読んだだけだと わかった気になるだけで、実は何もわかってないこと多かったんで、読んだものを 書いてみるようになりました。それが私の「翻訳」作業のはじまりです。

どうせ書籍だってあの程度なんだから、地道にやれば俺だってそれなりに世間の お役に立てるかもしれないと思うようになりました。 フリーな文書にもたくさんお世話になっていることだし。どうもサラリーマン やってると「お金」しか尺度がないんで、もう飽き飽きしてたというのもあるか もしれない。


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