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6. 初期のフリー Unix

このすき間にヘルシンキ大学の学生 Linus Torvalds が割り込んだ。1992 年、彼はフリーソフトウェア財団のツールキットを使って、386マシン用にフ リー UNIX の開発を始めた。彼の最初の、迅速な成功は Linux を開発するた めに彼を援助する多くのインターネットハッカーを引き付けた。 Linux は、 完全にフリーで再配布可能なソースで装備した UNIX である。

しかしながら、Linux の最も重要な特色は 技術的なものではなく、社会学 的なものであった。Linux が開発されるまで、オペレーティングシステムのよ うな複雑なシステムは、できるだけ小さいグループで、しかも厳選して集めら れた人たちによって、慎重に組織化された方法で開発されなければならないと 信じられていた。このモデルは、現在でも、商用のソフトや 1980 年代に開発 された FSF(Free Software Foundation) の偉大なソフトウェアに典型的なも のであった。

Linux は完全に違った方法で成長した。ほとんど最初からインターネットを 通じてだけ共同で動くことができる数多くのボランティアによってむしろ気軽 に取り組まれた。厳格な基準や独裁的な基準によって質が維持されたのではな く、毎週リリースされる素朴でシンプルな方法によってであった。そして数日 のうちに数百のユーザからフィードバックを受けることで維持された。誰にとっ ても驚きであったが、これで非常にうまくいったのである。

1993 年の終わりまでに、 Linux は安定性と信頼性において多くの商用 UNIX と肩を並べるようになり、非常に多くのソフトウェアが Linux で動作す るようになた。このような発展の間接的な効果のひとつは、小さな商用 UNIX の販売元のほとんどを潰してしまうことだった。開発者やハッカーに売れなかっ たので、彼らは倒産した。BSD をもとにした UNIX に十分なソースを提供し、 ハッカーの共同体と密接な結び付きを得ることで生き残ったものもあった。

ハッカーの国は、何度も消滅すると予言されてもなおかつ反抗して、自分た ちのイメージにあう商用ソフトウェアの世界を作り直し始めていた。


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