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7. Web の大爆発

Linux の成長は他の現象も引き起こした。すなわち、インターネットの一般 性の発見である。1990 年の始めには、月に数ドルで一般に接続を売るインター ネットプロバイダ産業が盛んになり始めていた。WWW(World-Wide Web) の発明 以降、すでに急速に成長していたインターネット成長は、さらに異常なペース で加速した。

1994 年には、 バークレーの UNIX 開発グループは正式に終了した年には、 いくつかの異なった版のフリーな UNIX ( Linux と4.4BSD あたりをもとにし たものいくつかの)がハッキング活動の重要な焦点となり、一般に提供された。 Linux はCD-ROM で商用的に配布され、とてもよく売れていた。1995 年の終わ りには主要なコンピュータ会社は派手な広告で、自社のソフトウェアやハード ウェアとインターネットとの相性が良いかを示すようになった。

1990 年代の終わりには、ハッカーの国の中心的な活動は Linux の開発とイ ンターネットの拡大であった。WWW はついにインターネットをマスメディアに し、1980 年代の多くのハッカーたちと1990年代初期のハッカーたちは、今で は、大衆にサービスを提供するインターネットサービスプロバイダを運用して いる。

インターネットが拡大してくると、ハッカーの文化は尊敬されはじめ、政 治的影響力さえ持つようにさえなった。1994年と 1995年、ハッカーの行動主 義は政府のコントロールのもとに 暗号処理化を強化するという Clipper 法案 ( 14) を打ち壊した。 1996年、ハッカーたちは "Communications Decency Act" を打 ち破るために広範囲の集まりを結集し、インターネットの検閲を防止している。

いまや文化全体は、インターネットとコンピュータ技術が21世紀の社会を 決定的に方向づけるだろうと認めている。民俗と伝統と態度がすべてのハッカー の文化の価値観はインターネット技術とともに現代の子供たちへの文化的遺産 の一部になっているのである。ハッカーにとって未来は明るい。

Eric S. Raymond esr@thyrsus.com

(訳注)Clipper(Clipper Chips): アメリカ合衆国政府が利用を法制化しようとした暗号処理案


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